
書籍『ゲノムと社会―つくる生命、ゆれる価値観―』の刊行を記念してお届けしている、科学哲学のエキスパート信原幸弘氏(東京大学名誉教授)と電通のゼネラルマネージャー志村彰洋の「ゲノム×哲学」対談。
前編では、「多様な欲望をほどほどに満たし、未来人の視座に立って物語を紡ぐ」という科学技術との向き合い方が提示されました。これは科学技術の社会実装に限らず、あらゆる新規事業やビジネス活動を考えるうえで心に留めておきたい思想です。
後編では、その思想をさらに深掘りしながら、視線をぐっとビジネスの現場へ。今どきの新規事業開発における根深い課題や、その乗り越え方を考えていきます。
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決めたものだけでなく、決めなかったものを見つめる
前編では「敵対的共生」というキーワードが象徴するように、葛藤や揺らぎをも受け止めながら科学技術と向き合うことの大切さに気付かされました。しかしビジネスとして社会実装を進める以上、方針を一つに絞ったり、ルールや規則を固めたりすることは避けられません。多様性や葛藤は大切にしつつ、うまく進めていくにはどうすればよいでしょうか。
信原:何か直面している問題があれば、決めなくてはならないことは当然あります。でも「これが正しいからこう決める」のではなく、「正しいとも間違っているとも言えないけれど、決めなきゃいけないのでとりあえず決める」というスタンスでいればよいと思います。
何かを決めるとき、賛成した人はそれで良いですが、反対の人はそう決められると損をしたり、実害を被ったりします。でもそれは、決して「間違っているからそうなった」のではなく、「とりあえず決めなきゃいけないからそうなった」だけ。そう考えると、反対する相手に対して、決めた側は「申し訳ないな」という気持ちが湧いてきます。私はその気持ちが本当に大事だと思うのです。否決された側というのは、欲望が満たされない状態になっているわけですが、決めた側に申し訳ないという気持ちがあれば多少の慰めにはなる。少なくともないよりはずっといいですよね。

志村:その視点は確かに大切ですね。実際に新規事業開発の現場では、採用しなかったアイデアや失敗したプロジェクトへのケアがあまりなされてこなかった印象があります。これは新規事業ワークショップの“あるある”なんですが、出てきたアイデアに対して「それは前にも考えた(けどうまくいかなかった、だから今回もムリ)」「それは別の企業でも出たアイデア(だからやる価値はない)」と言って、可能性が排除されていくことがあるんですよ。同じアイデアでも実行する主体が変わったら成功確率は絶対に変わるのに、切り捨ててしまう。
前進するにはその切り捨てこそが必要だと思っているビジネスパーソンは、実際かなり多いと思います。“潔さ”や“ブレない軸”を持つことが大事だとよく言われますし……。
志村:だから最近僕は「供養しよう」って言うんですけど、ちゃんと振り返ったり、けじめをつけたり、あるいはやり直したりして、総体としてのアイデアのポートフォリオをうまくマネージメントしていく必要があるなと考えていて。選ばなかったものや失敗したものにちゃんと向き合うことが、未来への余地を残すことにもつながるのかなと思いますね。
「独創性」にとらわれすぎている私たち
信原:私は志村さんがお話しになった課題の背後に、「独創性」への過剰な評価があるのではないかと見ています。今の社会は、新規なもの・独創的なものに非常に大きな価値をおいて、それによって経済を活性化し、利益を得ていくという構造になっています。要するに、独創性にこそ経済的な価値があると。
志村:そうですね、まさに20、30代の僕もそんな考え方でした。
信原:そして新しいこと、誰よりも早くやることばかりに過剰な価値がおかれた結果、さして価値のない新規性や差分の競い合いが起こっている。それはビジネスに限らず、研究分野や社会全般においてもそうです。独創性の競い合いで人々を駆り立て、本質を見失ってしまう社会のあり方は本当に惨めですし、独創性は人間のウェルビーイングの敵だとさえ私は思っています。
志村:独創性は人間のウェルビーイングの敵……! 先生すごいですね、ビジネスの世界でそんなことを言う人、まずいないですよ。

かなりインパクトのあるご指摘ですが、でも新規事業開発に行き詰まりを感じている人が多いのは、こうした独創性の罠があるのかもしれませんね。
志村:実際、多くの企業で「新規疲れ」が起こっているのは確かです。この10年くらい、日本中で数えきれないくらいの新規事業プロジェクトが行われました。でも、じゃあ今その中のどれくらいが残っているのか? 小さな差分を無理やり見つけ出して、なんとかお化粧して着火させようとしても、結局火はつかない。だからもう、新規事業開発は「新規性」だけを求めるのはなく、もっと持続性や定着を目指すフェーズに来ているのかもしれません。
これからは「アンサングヒーロー」を目指そう
志村:今の話で思い出しましたが、ちょうど先日、ダボス会議にも出席していたある人と話していたら「これからは“アンサングヒーロー”を目指さないとだめだよ」とアドバイスされたんです。
歌われることのない(unsung)ヒーロー……つまり、隠れた英雄になれということですか?
志村:そうです。誰がやったか、名を残せるかということより、もっと世の中に定着させていくことを意識して事業をつくっていくべきだ、と。これまで述べてきたことの繰り返しになってしまいますが、未来の社会に良いインパクトを与えるビジネスをつくっていくには、運用可能性が非常に重要です。でも個人のアイデアや能力だけに頼っていると、その人がもし組織を辞めたらそこですべてが止まってしまう。優れた事業アイデアを絵に描いた餅にしないためにも、自分の名誉はいったん脇に置いて、どういったステークホルダーとどんな社会システムを築いていくべきかを広い視野で考えたいですよね。

なるほど……。前編からここまでのお話を踏まえると、アンサングヒーローを目指すというのは決して自分らしさやオリジナリティを捨てよということではなく、「“社会全体をより良くする”という俯瞰的視点を持ちながら、個々の物語を競い合わせることなく丁寧に紡いでいくこと」なのかな、と理解しました。
信原:独創性ばかりを重視しない生き方を許してもらえるのなら、そんな生き方や働き方をしたいと思う人は、きっと世の中にたくさんいると思いますよ。
志村:そう言われてみると、日本は200年以上続く老舗企業が世界の中でもぶっちぎりに多いじゃないですか。でもその多くが、経営者の名前が広く知られているわけでも、新しい商品を生み出し続けているわけでもない。僕はずっとスピードを重視して仕事をしてきたけれど、老舗企業の丁寧でスローな経営の中にこそ、定着と継続へのヒントがたくさんあるのかもしれませんね。だって200年も続くって、引継ぎや運営体制がすごくしっかりしているってことだから。
そして結果的に、老舗にしか出せない強固なオリジナリティが生まれる……。独創性とは、無理やり狙って生み出すようなものではないのかもしれません。
新規性による一点突破ではない、本質的な事業開発を
哲学とビジネスの両面から、技術の社会実装を考えてきたこの対談。未知の科学技術への向き合い方から新規事業開発への警鐘まで、興味深い話をありがとうございました。志村さんの事業コンサルティングも、新しい考え方を取り入れつつ進化しているとのことでしたが、最後にソリューションのご紹介をお願いします。
志村:僕がファウンダーを務めるSMARTCELL & DESIGNでは、「ゲノム思考」を活用したアイディエーションサービス「ゲノムシンキング」をはじめ、新規事業開発やR&Dのさまざまな支援を行っています。以前から僕らのところに相談に来られるのは「もう新規事業開発を何周もまわってきた」という“玄人”なお客さんが多かったのですが、今回の対談でもお話してきたように、これからの事業開発には社会実装させていくための持続性や定着力が不可欠です。新規性ばかりにこだわるのではない、より本質的な事業開発を目指す人たちのお役に立てたらと思います。
では、信原先生からは改めて書籍のご紹介とあわせ、ビジネスパーソンへのメッセージをお願いします。
信原:今回の本は、科学技術のELSIを自分事ではないと思っている人にこそ読んでいただきたいと思っています。ELSIにはリスクを考えブレーキをかけるネガティブELSIと、逆にメリットをも考えてリスクとの比較衡量を行うポジティブELSIがありますが、この本が目指すのはポジティブELSIのほう。決して科学技術の社会実装や発展を止めたいわけではありません。ただし、メリットを考えると言っても、何がメリットなのかは必ずしも明らかではないので、「そのメリットが本当にメリットなのか」を一度立ち止まって疑ってみる必要がある。この本が、そのきっかけになればうれしいですね。
(前編を見逃した方はこちらからご覧ください⇒前編へ))
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