ビジネス課題を解決する情報ポータル
[ドゥ・ソリューションズ]

    哲学とビジネスの間で考える「社会実装」【前編】 ~ゲノム倫理が教えてくれること~

    最終更新日:2026年03月31日

    哲学とビジネスの間で考える「社会実装」【前編】 ~ゲノム倫理が教えてくれること~

    2026年1月、ゲノム技術を倫理的・法的・社会的な観点から考察する一冊の書籍『ゲノムと社会―つくる生命、ゆれる価値観―』が刊行されました。

    編著者は「『ゲノム倫理』研究会」。日本における心の哲学分野の第一人者である信原幸弘氏(東京大学名誉教授)が代表を務め、ゲノム分野の最前線の研究や社会実装に関する倫理的・法的な諸問題に取り組む16名の専門家が名を連ねています。その中で唯一、民間企業から参加しているのが、電通のゼネラルマネージャーでありSMARTCELL & DESIGNを主宰する志村彰洋です。

    ゲノムと倫理/哲学———。そう聞くと、自分のビジネスからは遠い世界の、ちょっと難しい話だと思えるかもしれません。しかしその内容は、ゲノムにとどまらずあらゆる新規事業や新技術活用において参考になるもの。これからのビジネスパーソンにとって刺激あふれる二人の対談を、2回に分けてお届けします。

    PROFILE

     
     
    新規事業開発や技術の社会実装にご関心のある方へ
    未来視点から価値を構想し、「独創性」だけに頼らない事業づくりを支援するソリューション「ゲノムシンキング」をご紹介します。新たな発想の創出から、持続的に社会へ定着させるための構想・実装までを一貫してサポートします。

    INDEX

    未知の科学技術を前に、「ほどほど」を知る

    信原先生は哲学をご専門とされていますが、どういった経緯で「ゲノム倫理」研究会の代表になられたのでしょうか。

    信原:私の専門は心の哲学ですが、心の働きは認知科学や脳科学などが大きく関係しています。そのため、科学の発展とともに私の研究内容も自然と科学的な成果に関わるものになっていきました。とりわけ脳科学研究は2000年代に大きく発展し、テレビでも脳科学がさかんに取り上げられましたよね。お茶の間で楽しむだけならよいのですが、脳科学は人間に重大な影響を与え、ひいては社会にも大きな影響を与え得るものです。社会として正しいリテラシーを持つ必要があるのではないかということで、脳科学についての哲学や倫理を研究するようになりました。

    いわゆる「ELSI(※)」と呼ばれるテーマですね。
    ※Ethical, Legal and Social Issues=倫理的・法的・社会的問題の略称

    信原:はい。そうした経緯もあって、今回ゲノム技術をELSI観点から研究する「ゲノム倫理」研究会の代表を務めることになったわけです。ゲノムや昨今話題の生成AIは、人類をこれまで見たことのない地平へと押し上げる、あるいは滅ぼしてしまう、それくらい今までとは根本的に異なるインパクトを持つ技術です。ですから、ELSIを考えながら何かしらの規制やガイドラインづくりを目指そうというのが、この研究会の目的でした。

    志村:特にゲノム合成のインパクトは計り知れないですよね。ゲノム技術には解析・編集・合成の3つがありますが、合成は1から生命をつくるという未知の次元に踏み込んでいます。その領域において、科学者は生命の神秘を解き明かしたいという思いで取り組んでいて、一方僕のようなビジネス側の人間はどうすれば社会実装できるかを考えている。それぞれが異なる立場や見方を持つなかで、民間事業者の視点からゲノムのELSIに関する議論に参加できたことはすごく有意義だったと思います。

    その活動の集大成ともいえるのが、刊行されたばかりの書籍『ゲノムと社会―つくる生命、ゆれる価値観―』です。メンバーの方々による多様な論考が掲載されていますが、信原先生はその中で、ゲノム技術と向き合う上で「葛藤する欲望をほどほどに満たす」という考えを述べられています。どういうことでしょうか?

    信原:まずこれは私の根本的な考え方なのですが、人間は、一個人を取ってみても実に多様な欲望を持っています。それらの欲望は必ずしも統一されてはおらず、葛藤する場合もあります。例えば、「甘いものをたくさん食べたいけれど、痩せて美しくなりたい」といったように。一人でもずいぶん葛藤するのに、社会全体となるとさらに葛藤は深まり、敵対して滅ぼしあうことさえ起こり得ます。しかしそれは悲劇ではなく、むしろ命の豊かさなのではないかと考えています。

    確かに多様性という豊かさがある反面、葛藤が対立となり加速してしまうと、傷つく人も増えてしまう恐れも感じます……

    信原:そうですね。ですから問題は、どうやって葛藤する欲望に対処するかです。これまで社会が試みてきたのは、一つの調和した理想的な価値の体系を築いて、それに従うことで平和的社会を築くというものでした。しかしそうすると、必ず排除される欲望が出てきます。というより、排除なしに整合的な体系は作られません。もともと葛藤していますから、原理的に無理なのです。

    排除され抑圧された欲望は、やがて精神疾患的な症状や犯罪、あるいは戦争といった形で爆発すると私は見ています。ですから、葛藤する欲望、多様な欲望という生命の豊かさに対応するためには、一つの欲望だけを存分に満たすのではなく、なるべく多くの欲望をほどほどに満たすのがよいだろう、と考えているのです。

    志村:科学技術の社会実装という観点から考えても、先生のおっしゃる「ほどほど」には共感できる部分がたくさんあります。ゲノムに限らず、技術を社会実装するには、プロセスや仕組みの構築と運用が何より肝心です。長期的な運用性を考えたとき、ゲノムのような未知の技術になればなるほど「ほどほど」にしておかないと持たないと思います

    “ほどほどじゃないと持たない”?

    志村:なぜならゲノム技術はインパクトが強すぎて、今の価値観や欲望をベースに仕組みを考えても、それが未来を生きる人にとって正しいのかどうか判断できないから。例えば個人のゲノム情報を社会で活用していこうと考えたとき、医療分野ではどんどん使って役立てたいけれど、雇用や保険分野で許可すると悪用されて差別を助長する可能性がある。じゃあ医療だけにきっぱり範囲を限定し、それ以外の活用はすべてNGにしたとして、それが本当に未来の人の幸せにつながるのか……。もしも「やっぱり違ったかも」となったとき、可逆性のある、つまりやり直しができるような「ほどほど」の仕組みになっていないと、長期的な運用はできないんです。

    その社会を、未来の人たちはよろこぶだろうか?

    ゲノムのインパクトもさることながら、最近はなんといっても生成AIがものすごい勢いで私たちの暮らしに入り込んできています。その便利さに魅了される一方、「何でもかんでもAIで」な世の中を見ていると、このままでは人の考える力が衰えるのではと不安になることも。

    信原:ゲノムにせよ生成AIにせよ、大切なのは「一見よさげに見えるベネフィットを疑ってみる」ということかもしれませんね。もし技術によって簡単に容姿を変えられるようになっても、それでみんなが一様に同じ美しさを手に入れた結果、自分らしさがないことに今度は苦しみ始めるかもしれません。「長期的に見たとき、本当にそれが幸せなのか?」「それで社会全体はどう変わるのか?」と、いったん立ち止まって考えてみることが必要でしょう。

    それを考える際のポイントとして、本の中で志村さんが提案されているのが「未来人の視座」です。Do! Solutionsでも何度か紹介しているソリューション「ゲノムシンキング」でも、未来に起こりうる機会や価値を想像し、バックキャストでビジネスアイデアにつなげていく方法を取り入れていらっしゃいますよね。「未来のことなんて結局わからないし……」と思考停止してしまう人も多いかと思うのですが、どうすれば未来を自分ゴト化して考えられるでしょうか?

    志村:もちろん未来がどうなっているのか確実なことはわかりませんが、そうですね、例えば自分の子孫がどうなっているのかを想像してみる。自分の子どもや孫たちが未来の社会で何を思うかを少し考えてみるだけでも、今の自分が抱える欲望や未来への影響を客観的に見ることができると思います。

    これってすごくシンプルな方法ですが、新しい発見をしようとか新しいビジネスで成功したいとか考えていると、その情動が強すぎて思っている以上に近視眼的になってしまうんですよ。見ている時間の幅も狭くなるし、特にビジネスでは経済的価値ばかりが評価されるので、差別や苦しみを助長しないかといった視点も忘れられがちです。子孫に限らず、自分から近い存在で、利他を感じられる相手を想像すると、考える視野が広がると思いますね。

    ときに敵対しても、生きた物語をともに紡ぐ

    志村:加えてもう一つ僕が重要だと思うのが、未来人の視座をもちながら「ナラティブを紡いでいく」という意識を持つことです。ナラティブはビジネスコミュニケーションの現場でも最近よく聞かれる言葉ですが、複雑な情報を物語形式で伝えることで、わかりやすくしたり共感を呼んだりできる利点があります。でも僕がもっとも意識しているのは、ナラティブに内在する「時間の流れ」なんです。

    考え方や意識は、日に日に変わっていくのが当たり前。その変化や揺らぎを随時受け止めながら前進していくことは、瞬間的な状態を切り取るスナップショットとは違い、まさに生きた状態の物語を紡ぐことだと思うんですよね。そして、進行形で生物のように進化し続けるナラティブを柔軟に受け止められるメディアは、今のところ人間しかない。だから僕は、人と人との対話こそ、科学技術の前進において不可欠なものだと考えています。

    信原:ナラティブへの意識は、私も必要だと思っています。そもそも人間が生きるというのは、自己物語を生きること。人間が関わることはすべて物語であると言えます。しかし西洋近代的な学問観では、客観性を重んじるあまり個人の物語性を排除してしまい、学問そのものが的外れで貧相なものになってしまいました。ビジネスにおいても、自分の人生を仕事から切り離し、ビジネス的なベネフィットだけで物事の評価を下す人が多いでしょう。それは非常に貧しいことです。

    合理的でわかりやすい正解へと流されがちな現代人にとって、耳が痛いです……

    信原:欲望の話と同じで、人はそれぞれ固有の物語を持っているし、その物語を生きているので、これはやはり尊重しなきゃいけない。もちろんときには「あんなやつ!」と敵対することもあるでしょう。それでも何とか一緒に生きていくしかないのです。一つの大きな物語で個々の小さな物語を征服するのではなく、互いに尊重しながら「敵対的共生」を可能にしていかないと、豊かさを保持したまま科学技術を社会実装していくことはできないでしょう。

    志村:「敵対的共生」という言葉は本当にその通りですね。新規事業開発に従事していると、エッジが効いたユニークな企画が出てきても、合議制の中で反対意見を受けているうちに角が取れてどんどん丸くなっていくんです。若いころはそれに反発する気持ちが強かったのに、今は考え方が変わりました。反対意見を、つまり他者のナラティブをうまく取り込みながら、長期的な信頼を構築することがより重要だと思うようになっていて。実は僕の新規事業コンサルティングの考え方も、最近少しずつ変わってきているんですよ。

    その心境の変化、とっても気になります! 後半ではさらにビジネス現場の課題に踏み込み、最近の事業開発の課題や突破のヒントを探っていきたいと思います。
    【後編】へ

    本記事をお読みいただきありがとうございました。
    簡単なアンケートにご回答いただいた方の中から抽選で、書籍『ゲノムと社会―つくる生命、ゆれる価値観―』を5名様にプレゼントいたします。
    ぜひ率直なご感想をお聞かせください。皆さまの声を今後のコンテンツづくりに活かしてまいります。
    アンケートはこちらから

    未来起点での事業構想にご関心のある方へ
    不確実な時代の変化を捉え、未来から逆算して価値や事業のあり方を描くソリューション「Future Craft Process」をご紹介します。構想づくりから実行の道筋までを見据えた支援を行います。

    電通グループがご提供する
    関連ソリューション

    ゲノム思考で、世界と企業のビジネスを進化させる「ゲノムシンキング」

    新規事業開発やR&Dに新しいアイデアを!成功する新規ビジネスの創出に向けて、まったく新しい発想をもたらす「ゲノム思考」に基づいたアイディエーションサービスをご紹介します。

    詳しくはこちらをチェック!

    関連ソリューション

    関連ダウンロード資料/動画

    「ゲノム思考」で、新規事業開発を次のステージへ!​ 「ゲノムシンキング」​   powered by SMARTCELL & DESIGN
    未来を可視化し、未来の事業をつくるプログラム Future Craft Process by 未来事業創研
    このページをシェア Facebookでシェア Twitterでシェア LINEでシェア リンクでシェア URLをコピーしました

    関連ブログ記事

    登録無料

    mail magazine

    ビジネス課題を解決する
    ソリューション情報を
    メールでお届けします!